「ペスト」ダニエル・デュフォー平井正穂 訳

・・・一六六五年、ロンドンが悪疫(ペスト)に襲われた。逃れえない死の恐怖に翻弄された人々は死臭たちこめる街で、神に祈りを捧げ、生きのびる術を模索した。・・・(本書カバー)

 

今から350年ほど前のペスト禍を克明に記したノンフィクション小説・・・タイムリーといってよいのか?~気になったので。

 

・・・自分はいったいどうしたらよいのか、つまりこのまま意を決してロンドンに残留すべきであるか、それとも、隣近所の人々と同じように、家をたたんでロンドンから逃げ出すべきであるのか・・・私がとくにこのことをくわしくここに書き残すゆえんのものは、後に来る人々が、われわれと同じような災難にぶつかり、同じような選択の必要に迫られるようなことがあった場合、多少なりとも役に立たないものでもあるまいと思うからである。・・・(P.18~19)

 

本書のペスト禍が蔓延していた当時、著者デフォーは5~6才であったので、後に記録を丹念に再構築した内容だが、デフォー自身も当時を生き延びています。

当時の医学知識では煙で燻したり、香料で悪疫の元をワカラナクする?程度の予防法しか無かった。

あとは、外科的に悪疫が原因の腫物を切開して膿を取り除く・・・。((+_+))

確実な予防は罹患する前に、さっさと遠方へ疎開することだが、罹患していた場合は悪疫を地方へ拡散することになる・・・これは現在でもいわれています。

 

・・・私はこの疎開の問題について考え込んでいたが、ふと次のような考えが湧き上がってきた。それは、神のお力の導きと許しがなければいかなることも人間には起こりえないとすれば、私の再三再四の蹉跌はけっしてただごとではない、ということだった。それは、私がロンドンから出てゆかないことが結局神の意志であるということを、明らかに示し、告げているのではないか。私はそこで、もし自分が残留することがほんとうに神の意志であるとするならば、必ずや神は、やがて襲い来たるべき死と危険の渦中においても、自分をしっかりとお守りくださるにちがいない。(中略)もしわが身の安全を計るあまり、自分の家を捨てて神の(私はそう信じていた)啓示にさからうようなことがあれば、それはまさしく神から逃げ出すことになるのではないか、たとえどこへ逃げようとも、神はその裁きのみ手をのばし給うて、随時随所において私を捉え給うのではあるまいか。と考えたのであった。・・・(P.23)

 

信心深くかつポジティブ思考が、悪疫に罹らないための免疫?だったのかも。

罹患せずに生きのびれたことは、ほとんど偶然~幸運の賜物であったとしかいえない。

 

当時は、罹患した人や家族を家に閉じ込め、24時間体制の監視人(2名)をつけて出歩かせないようにしたようです。

そして隔離された家屋で病人の世話をする、付添婦(感染必至!)がいたという・・・。

また、病死した遺体を埋葬地まで運ぶ役割の運搬人~埋葬人も死と、となり合わせ・・・人権という考えの登場はまだまだ先の話。

 

このような状況下でもっとも害を被るのは、当時も現在も社会的弱者です。

そんな中でも、食糧・薬品・救援物資・救援金が、市民や内外問わず信仰篤い人々から送られた~とありました。

やがて、一六六六年に起きた大火災でネズミ等の媒介する存在がいなくなり、疫病は終息していったといいます。

しかし、パンデミックと大火のダブル災難とは・・・。

 

・・・ロンドン疫癘に病みたり、時に一六六五年、鬼籍に入る者その数十万、されど、われ生きながらえてあり。  H.F.・・・

 

いつかは終息するウイルス禍。

感染拡大時は、ステイ・ホームだが、終息に向かう兆しがみえた時は、互いに協力し合って、さまざまな支援活動を!。

 

歴史は教えてくれます。